東京女子流のライブとこれまでの話

 武道館であった東京女子流のライブを見にいってきた。5人の若い女の子たちがすごいがんばってこの日をつくりあげてきたのだ、というのが普段、彼女たちのことを殆ど知らない人間にさえも透けて見えるようだった。

 踊ってそして歌っている姿を2時間くらい見ていて、終わった後にひどく感動を覚えた。アンコールも終わった終演直前、花道まで出てきた新井ひとみちゃんから涙がこぼれていた。ピンク色のペンライトがゆらゆらと揺れながら、会場を埋め尽くした光景を今なお鮮明に思い出すことができる。楽しかったなーー。

 知ってる曲しかなかったけど、セトリ忘れたし、ライブの感想をそれっぽく書いたりすることはだれかに任せます。小西彩乃ちゃんのドラムがかっこよかったのと最近の曲かな、mineはすごくよかったですね。

  今日はおよそ2年ぶりにアイドルを見た日でもあった。あのころの自分からは随分と遠いところまでやってきたのだな、という感慨深さがあった。いつの間にかアイドルヲタクをやめてから2年が過ぎていた。無論、アイドルヲタクってなんだ、と言われたらそんなことを定義することに意味はないし、本人がやめたと宣言すればもうやめたことになると思う。趣味の世界はどこだって自己申告制だ。

 人間の欲望は本当にキリがなく、何をしても満たされないのだ、ということがアイドルヲタクの経験から学んだ最も重要なことだった。いつだって経験から学ぶことしかできないし、それすらも怪しいけれど、身を持って経験することができて、本当によかったと今でも思っている。それは趣味とは何かということについても、いくつかの示唆を投げかけるものだった。

 アイドルを追っかけていたころ、同じCDを買って一日に何箇所も現場を回して、週末に地方都市にライブを見に行って、家ではツイッターをやりながら出演しているテレビと雑誌とドラマを見て、そういう活動のために、大学の授業を普通にサボったり、ある人たちとは自然と疎遠になっていき、という感じだった。ライブはすごく盛り上がるし、知り合いもできて、そういう意味でも楽しかったし、結構幸せだなとも感じていた。ただ一方では、全然何かが自分のなかに満たされる、という感触を持つことができなくてもがいてた。そこそこの金額と多くの時間をつぎ込んでも、後に残るものを得ることのできないもどかしさがあった。それでもなお、CDはもっと買いたくなるし、現場はもっと行きたくなるし、お金と時間と体はいくつあっても足りないな、と日々思っていた。欲望ばかりが際限なく肥大し、等身大の自分とのバランスが崩れかけていたんだなと思う。沢山ライブを行ったりして知らぬうちに無理をしてたんだなと思う。あーーなんかアイドルヲタクをすることが悪い、みたいな感じになってきたけど、そういう意味では決してないです。

 アイドルヲタクを辞めたのは、こういった自分自身のヲタク活動における即物的で刹那的なお金と時間の消費の在り方への強烈なノーだった。

 結局のところ、好きなことや好きな人という対象と自分との適切な距離を見つけることこそ本質だったのだ、と今になって思う。例えば、長い間ひとつのグループをずっと応援したりしているヲタクの人は、今言ったような距離感をちゃんと保つことができる人なんだなあと思う。自分はアイドルにそれができなかった。趣味を無理なく継続させられることは、幸せになるための生きる上で大切なスキルですね。

 両者の距離が適当ではないと、あらゆる趣味はいずれ破綻する運命にある。結果的に僕の場合は、アイドルヲタクを辞めることが適切な距離感だったのだな、と思っているし、それはアイドルが悪いわけでは全くないし、イベントにライブに行かなくてもたまにCDを聞く、みたいなそういう距離感もある。

 いま、SoundCloudでいろんなアイドルのre-mixを聞くのはすごく楽しいし、女子流の楽曲もすきなものが沢山あって、今はそれですごく幸せになることができている。年に2度くらいライブにも行けたらいいなあとも思っている。今日の女子流ちゃんたち、本当によかったし、みんな輝いていてすごく元気をもらった。

 

 追記しますけど、あぁちゃんのブログに載ってたこの写真めっちゃいいですね。