今日は生憎の晴れ

 デジタル時計の針は15時を指している。一日が終わって、一息ついたときにブログは書くものみたいなイメージがある。今日は一日中、授業もなくて、好きなことやっていればいいだけの日だと思い少し早く起きたのに、うまく乗ってこない。駄文でも書き流してみようか、そうすれば少しは気分も晴れやかになるのかもしれない。

 毎日は、二歩進んで二歩戻って、それから一歩後退して二歩進んだかなというのが誠実な表現だ思う。毎日同じことしてると人間は基本的に飽きる。どんな面白いことでもやがて飽きる。飽きるとまた別のことを探し始める。主婦は掃除したと思えばインターネットショッピングしているし、高校生は携帯をいじり始めるし、社長はメガネ吹いたり、アイドルヲタクは推しの子を変える。

 面白さが川を流れる水であるならば、半減期の速い一時的な水位の高まりのようなものである。水位はすぐに下がる。やがて豪雨が上がれば、またいつもの見慣れたどこに流れていてもよい川である。水位を劇的に上昇させられる能力と、長期に渡る水位の維持能力は別の問題であることは、もはや自明である。水位の変動は、ほんのちょっとした摂動を与えるだけで容易に変動する。丈夫にできていそうで、実は絶妙なバランスに支えられているのかもしれない。簡単にこころは揺れ動くし、流されてしまう脆さがある。それでもなお、じりじりと削られてゆく水量を眺めながら、時には雨を降らせたいと思った。恵みの雨である。そっとブラウザを立ち上げ、scholar.google.comを開いて、何が"standing on the shoulder of giants"だと思った。