問い方について

 答えが分からなくなる疑問に直面することは、生きれいればたまーに遭遇する。歴史とは何かから始まって、愛とはなにか、果ては◯◯ちゃんとは何か、までの答えようが無い或いは死ぬまで解けなそうな問題たちだ。

 でも、こういった「XXとは何か」という疑問は、よく考えてみれば疑問ではなくて、ただの「悩み」であることが多い。愛とはなにか、なんて考えてるときは、大抵恋愛が上手く行かないときだろうし、生命とは何か、と考えてるときは、研究が上手く進まないとき、な気がしてる。

 愛とは何かといった類の疑問は、どうしたらそれが解けるのか、どうしたらその疑問を回収できるのか、そこが余りにも不明瞭でぼやけている。愛の、生命の、歴史の、◯◯ちゃんの何が分かることが、ゴールなのか、疑問を持ってる本人が一番わかってない。だから、解けないし、解く気があまりない様な気がするな。

 本当に解きたい疑問ならば、もっと違った最適な問い方があるはずだし、それを探すべきだ。生命とは何か、ではなくて、生きている状態は果たして可逆か、としてみれば、可逆性の議論が熱力学的にできるかもしれないし、無生物との関係を考えられるかもしれない。湧き上がる疑問に対して、解の得られそうな別の問い方をするのも技術だと思う。

 だから、愛って何かなあって聞かれたら、◯◯ちゃんって何だよwって言われたら、その子は愛について、◯◯ちゃんについて、"悩んでいる"のだろうと想像すべきだ、ということになる。

 たぶんそうだ。