寝てる間に考えたこと

 きのう午後、今日の一日とどうも風邪っぽくて、ああ熱がでたらこれは大変だから早く治ってくれという気持ちで寝込んでいたけど、寝すぎて寝れなくてpodcastで未視聴のrebuild.fmを聞いたり本を読んだり、急に雑誌が読みたくなって本屋で雑に雑誌を数冊買った。

 『Python文法詳解』、3.X系のpythonの話で、def f(): ...の...はEllipsisオブジェクトとかいうやつで、pass()と同じイメージで使えるオブジェクトらしいという知見が得られた。吉本隆明『重層的な非決定へ』の少し、文學界と新潮の幾つかの作品、Coyote星野道夫の特集(アラスカに行ってみたくなった)、Penとブルータスのコーヒーショップ特集 (3rd wave coffee)を買って読んだ。それから非同期処理 (non-blocking I/O)について少し勉強したいなと思ったが、よさそうな題材がないのでいつかやりたい。Java8のstream APIも興味ある。それと江戸前にぎり寿司をスーパーで買っておでんと一緒に食べた。ゆっくり休んだので明日からはいつもどおりに活動できそう。それからさっき、スカイツリーの少し左上に月食が見えてきれいだった。

RSSリーダー

の最後の砦とも言われた(いま勝手にそう呼んだ)livedoor Readerが今年のクリスマスでサービスを終了する。そういえば半年くらいまえにはgoogle readerが逝っていた気がする。みんなスマートフォン2chのまとめや、ニュースのまとめサイトを普通に見るようになっている今日において、一次情報を得るということの重要性は日々増すばかりである一方で大手のサービスが終了していくのは哀しさもあるが、世の中の流れなのかなとも思う。多くの人がまとめサイトまとめサイトまとめサイトまとめサイトのキュレーション?サービスに類したものを使うようになって、それがあたかも一次情報のように扱われる未来はそう遠くないのだろうと容易に想像できるがとにかくそれは恐ろしい。もっと理性的にならないといけない。でもgnosyみたいなサービスが流行ったり、ニュース記事が最初から結論を誇張して書くようになったり、読み手の負担がどんどん減っていく先には一体なにがあるんだろう。僕からすればほしい情報なんて自分でぜんぶ見つけるし、情報推薦なんてお節介だよと思ってしまう。

 今、100人くらいをはてなブックマークでフォローしていて、HBFavとかいうawesome iOS appでお気に入りを見まくってるので、そこには一次情報ががんがん流れている(そもそもまとめサイトやキュレーションされた情報がきらいな人がはてブを一生懸命使っている印象)。ブログがありニュース記事があり研究に関する紹介や論文、ソースコードなど、ぜんぜん不満はない。

 Google readerが死んだ時に何も考えずにfeedlyに移ったけど、はてブお気に入り + Githubのnews feedを毎日みまくっているおかげで技術的な話題は十分であるし、美味そうな飯屋の情報も、増田などを通して村の様子もおかげでよく分かる。新着のトップジャーナルの論文は毎週サイトにチェックしに行く習慣があることに加えて、キーワードでメールアラートが毎晩飛んでくるようにしてある。

 はてなブックマークはそういう意味で、ホッテントリは別にして、お気に入りは最後の砦のひとつであってほしいし、そう願っている。

"Pain is inevitable, suffering is optional"

 ということばがある。大変なのはどうしようもないけれど、苦しみや困難さを引き受けるのは自分次第だ。もちろん降りてもいい。

 一日は本当に短い。有限な体力と引き換えになんとか前に船を進めようとするけれど、夜も真っ暗になったとき、昨日との差分その歩幅のあまりの小ささに愕然とする瞬間は少なくない。目的がたとえ明確であったとしても、そこまでの道のりには十字路があり、T字路がある。無数の選択と失敗がある。

 目的地こそ分かっているのに、現在地との間には深い断絶がはっきりとあり、右や左に歩く以外にその断絶を埋められないのがもどかしい。どんなに小さな事柄でも、なにかの現象を明らかにすることの困難さに直面していて、まさにそれは、inevitable (逃げられない)だなと思う。

 しんどくなって、乗った船から降りたくなることがある。なんで大変な道をわざわざ選んでいるのだろうと疑問に思ってしまうことがある。そういうとき、自身を駆動する始原的な動機をときどき思い起こしてみるといいのかもしれない。むろん、この船から今すぐに降りてもよい。いつまでもoptionalだ。

 翻って、彼岸まで渡りきったものだけが味わえる特別な幸福感や充実感があるのだろうと想像する。それがとても魅力的だと輝いて見えるまでに、とにかく向こう岸を目指さなければ、と改めて思い直したところだった。

 昼すぎ、研究室近くの神社へお参りに行ったとき、強い雨に見舞われたことが象徴的な出来事のように思えた。明日からもまた、小さな差分を積み重ねていくことになると思う。それが恐らく唯一の方法なのだろう。