ヘッダに寿司を撒きました

 冬が近づいている。年に一度大して中の良くない親戚が集まり、妙に長い歌番組かプロレスを見て、我が家は取り寄せた牛肉で毎年すき焼きを食べることになっている。大晦日の伝統行事である。祖母の甘い(みりんと砂糖を使いすぎている)味付けに文句をいう父親、だまっているが旨そうに食べる祖父の姿はいつまでも変わらない。祖母は耳の聞こえが悪いことと性格も相まって、殆ど自分に向いた指摘を聞いておらず、5分に一度くらいのペースで好き勝手に話題を変えてしまう。味付けの話の途中から、明日の天気を心配している。そのたび、空間が歪む。わたしはすき焼きをいっぱいに吸い込み、熱気のこもったリビングを抜け出した。ベランダから空を見上げると刺すような風がときおり羽織ったカーディガンをすり抜けた。

 明日、わたしの二十代は折り返し地点を迎える。大通りから2ブロックほど中に入った築15年のマンションは年季こそ入ってきたものの、日当たりもよく風通しもいいから、6年ほど前に越して以来、かれこれ他へ移る理由も見つからないまま住み着いている。夏の間には壁面の改修工事が済んで、ずいぶんと外見はきれいになったなと思う。セントラルヒーティングのシステムなので、6月が来れば冷房が、11月になれば暖房へと一斉に切り替わる。ここは、都心でありながら緑が多い。春には桜が咲く。夏には緑がいっぱいに生い茂る。夏の暑さは苦手だけど、冬はもっときらい。隣のマンションで冬風に吹かれた洗濯物を見ていると漠然と将来への不安がよぎるからやめてほしい。

 はやく落ち着くべきところに落ち着きたい。どうしようもないのにちょっと焦る。友人たちの話を耳にする度に自分のペースを取り乱しそうになる。生き急いだ思い出たちばかりが蘇るけれど、あの頃へはもう戻れないくらい遠くまで来てしまった。冬は来春の新芽が待ち遠しいと思った。

 こじんまりと生活することがすきだ。休日の午前中は決まって一週間分の溜まった洗濯(いつまでも不摂生だ)をしてアイロンをかけたら、犬を散歩に連れて行く。夜ご飯の献立を考えているときは幸せだ。冷蔵庫の残り物をうまく組み合わせながら、切ったり煮たりしていると自然と前向きになれる、というのは否応なしに始めた自炊から得た大きな発見の一つだった。自分しか食べない分、手抜きばかりでなかなか上達しない。昔、週末に料理教室にでも通おうかと思ったこともあったが、料理になにか幻想を抱いたきらきらな女の子たちを勝手に想像してやめてしまったのだった。今晩も相変わらず3人前くらいのお味噌汁をつくってしまった。これ、誰が食べるんだろうか。ベッドに潜り込んで、ウィッシュリストを慌てて作り始めた。