現実と未来が交錯している

 師走も半ばになり、街中はクリスマス一色に染まっている。昨晩に用があって立ち寄った高島屋のイルミネーションはちかちかしていなくて、きれいだと思った。このところ晴れた夜が続き、空が高く地面は冷却されるから足先から冷える。ちゃんと厚手の靴下を履いた方がいいな、でも翻って雪国はもっと寒いのでしょう、東京で寒いとは言ってはいられませんね、でもやはり厚手のマフラーをもう一つほしいな、と誰に放たれるでもない散漫とした思いが浮かんでは消えを繰り返しながら、雑踏の中に帰路を急いだ。

 気を抜くともうそこは新年なのだろう。いつだって新しい年の始まりはそうで、平成25年という感覚にも慣れないまま、平成は26年目を迎えることになるのだと思う。

 もう師走が半ばを過ぎようとしているというのに、忘年できない日々が続いている。卒業論文は書くべきことの大枠が形になり始め、気力で推し進めいくことの必要性を影で感じつつ、書きたい結果をまだ出せずにいる自分に少しの焦りも生まれそうだ。これまでの入力に不足が生じ、出力しながら入力を補填するという少々苦しい展開が予想されている。 まだ授業も数回分が残されている。予断は全く許されていない。

  一方で、着実に新しい日々が待ち遠しそうに、手を伸ばせば届きそうなすぐそこの未来で待っているような感触をも同時に覚える。4月からは環境も変わり、新しい生活が始まりそうだ。うきうきしている。

 いつも詰めが甘い、と言われたことを思い出す瞬間がある。到達点やゴールが見えた時、無意識に手を抜いてしまうことがある。手を抜いてもその余力で到達できればいいけれど、残念ながらそうはならないことも多く後悔することになる。師走から来年の一月末まで、目標の直前で手を抜かないように着実に歩むことができたなら、少し成長したと言ってもよいのかもしれない。

 抱えた現実と来るべき未来が2013年の師走に交錯している。やがてはそれすらも過去となり、層のように積み重なるのだと隙間風のひどい喫茶店でコーヒーが運ばれてくるまでのあいだ考えていた。そのどちらをも大切にして生きていきたい。隣の机には、おばあさんの3人組がパフェをつついていた。冷たくて歯にしみないのかと無駄な心配をしてしまったが杞憂だったようだ(3人とも平らげていた)。

 ワインを開けたら近況について少しだけ語りたくなっただけです。