迷っていることはできることなのだと

 だれかが言っていたことをふと思い出した。迷っているとき、答えは既に出ていてその判断にたいして、自分ではないだれかにその判断は正しいのだと言ってほしいことはとても多いと思います。

 迷えるときというのは、右にも左にも行くことはできて、それは右も左もなしとげられる可能性があるということですから、悩むわけですね。定食にするのか山菜うどんにするか、の二つにするから夕飯を悩むわけで、今晩はマンハッタンでフレンチ食べるのと新宿で牛丼を食べるのをどっちにしようというのは、迷いとしては破綻しています。なぜなら、日本にいるわたしが、夕飯を悩む小腹の空いた夕方、太平洋を超えて2時間後にニューヨークに行くことはできないからです。これは自明です。もちろん高速な移動が可能になれば、あるいは大陸の形が変われば、その頃にはわたしは生きていないでしょう。

 でもできたらいいですね。日曜日の朝、少し早く起きて千代田線にのって、シチリアに行くというのはわたしのかねてからの夢だからです。