考えてることを整理する

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 自分が普段なんとなく感じていることを改めて明らかにすることは体力も使うし、難しいから後回しにしてずるずると、なんだかよく分からない違和感や閉塞感をひきずったりする。意思がとても薄弱な筆者であるから、自己言及への障壁は限りなく高くよし考えようと思った次にはまずコーヒーを淹れて一息、そういう有り様である。

 なんとなく上手く行かないと半ば無意識で感じていることを放っておくといいことがない。繰り返すけれど、いいことなんてひとつもないと思う。人生が上手くいかないなとか、今日はつらいとか、そういう刹那的な感情を流すためにビールを飲んだりうまい飯を食べに行ったりする訳だけれども、それはなんとなく感じている違和感や行き詰まりを解消することはできなくて、単に酔っ払って考えられなくなっているだけだと思う。ここ半年くらいを振り返って反省している。

 取り組む課題がつまらないなと思ったり、モチベーションが失われてしまうことは多々ある。それにも折れない壮大で深淵な理由付けにすがることができれば楽だけれど多くの人にそれは難しくて、筆者にも大変難しい。だから、暗礁しかけたときくらいは自分についてまじめに考えるといいことある、という話。ビールばかり飲んでいてはなかなか前進しないし、堂々巡りしているだけになるから、結局それはつらい感じになると思う。

 今日は必要に駆られて重い腰をあげて自分のことについて考える日にした。マインドマップをひたすら書いたりしていた。マインドマップは線をどんどん伸ばして適当に書いていくやつ。マインドマップを書いたのがとてもよかった。XMind.appっていうアプリケーションを使ってマインドマップを書いた。

 マインドマップ、例えばつらいって書いたら、つらいの次のノードにはなんでつらいのかとか、いつからつらいのかとか、そういうのがいい感じにアフォードされるから便利ですごい発明だと思った。自己言及的だと思う。こうやってブログみたいに文章にすると、いい感じに自分を騙して取り繕うことができるから、水面下で自分が思っていることを引き出しにくいけど、マインドマップだと自身について言及せざるを得ない構造が勝手に生まれるから、素直に思ったことを書いていけば宜しい。自分しか見ないし、確かに読み返せば黒歴史っぽいけど、乗り越えたのならそのファイルを消せばよい。

 自分のことを適当にするのはよくないなあと思う。自分を大切にしないといけなくて、それは欲求に素直になるとかそういうことかもしれない。何をしているときに幸せを感じることができるのかとか、これまでまじめに考えることを要請されなかったから、ちょっと新鮮だ。あんまり適当すぎると、それはイージーモードなのかもしれないけれど適当なことを適当にやるだけの感じになってしまう。

 今日は半年間くらいだらだらと、半ば永遠に引き延ばそうとしていたことを少し片付けられた気がしたので大きな一歩だと勝手に褒めている。

  言いたいことあまりよくまとまらないけどねむいし、自分について語り過ぎたからこれにて閉店させて頂く。