救いのないラブロマンスが似合う場所

 中身も見ずにほぼ衝動買い、というよりも自分の文脈とは離れたところにあるものに触れたかったのだろう。結果的に買ったのは『ホテルローヤル』だった、というだけで、隣に平積まれた『爪と目』でもよかった。前者は直木賞、後者は芥川賞をそれぞれ受賞しているというとりわけ共通点があるわけではない。

 ホテルローヤル、自分には合わないなって思った作品集だった。文体も内容もあまり馴染めなかった。

 物語の舞台が北海道というのは必然的で、とてもいいなと思った。松家さんの『沈むフランシス』も確か北海道だった。村上春樹の『国境の南、太陽の西』では、妻の由紀子に嘘をついて、島本さんという特別な女性と二人でしんしんと雪の降る石川県に行くシーンは何時でも印象的である。そこには、どうも救いのないラブロマンスは冬の寒い北国、という必然性があるように思える。またそういった北国の舞台には、過去は温泉宿や石炭産業で栄えたが今は過疎、などの歴史的背景を背負っているとなお良い。日本の高度経済成長期、バブルを経て日本にはそういう地域が実際に偏在している。

 こういった歴史的経緯を経て荒廃し、厳冬という風土性を持った閉鎖的な地域と、救いのないラブロマンスや、不倫など一般的な倫理観から逸脱する行為は、非常に高い親和性を示すのはなぜだろうか。逆説的に、これが眼下に港の広がる横浜であったら、成立しないのだろうなと思えて、ホテルローヤルもまた例外なく地域性、風土性と密結合な物語だと強く感じた。北国である必然性をありありと感じる。

 北海道の田舎がどんな場所か想像できない人が読んだらどうなるんだろう。舞台をロシアとかカムチャッカとかにすれば普遍性が得られるのだろうか。香港や上海の若者が村上春樹をよく読んでいるという話を聞いたことがあって、やはりあれは都市の小説なんだなと思ったことがある。資本主義が成熟した地域であるいは成熟に向かって急速な発展を遂げている場所でこそ希求される物語だと思う。本物のニーズがある。

 多くの国や地域、言語で流通し得る物語とは何かについて考えることは、結構意味のあることだと感じる。本当に、破滅的な恋愛や性の多くが閉ざされた北国に収斂されていくのだとしたら、もう少しこのあたりについて知りたい。詳しい人にはなしを聞いてみたい。

 これ、ぜんぜんホテルローヤルの感想文じゃない。結果的に買ってよかった本になったが。

ホテルローヤル

ホテルローヤル

 

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