中上健次「岬」

1976年に芥川賞受賞作品。紀州の山村部落の話。

それから、文昭の産みの親も、この狭いところで生きているのだ。愕然とする。息がつまった。彼は、ことごとくが、うっとうしかった。この土地が、山々と川に閉ざされ、海にも閉ざされていて、そこで人間が、虫のように、犬のように生きている。
土方は、彼の性に合っている。一日、土をほじくり、すくいあげる。ミキサーを使って、砂とバラスとセメントと水を入れ、コンクリをこねる時もある。ミキサーを運べない現場では、鉄板に、それらをのせ、スコップでこねる。でこぼこ道のならしをする時もある。体を一日動かしている。地面に坐り込み、煙草を吸う。飯を食う。日が、熱い。風が、汗にまみれた体に心地よい。何も考えない。木の梢が、ゆれている。彼は、また働く。土がめくれる。(中略) 土には、人間の心のように綾というものがない。彼は土方が好きだった。
「火事と人殺しは、このあたりの名物やな」彼は言った。母が、彼を見つめていた。火事にも人殺しにも、それを捜せば、理由なり原因なりがあるだろうが、そのほんとうの理由は、山と川と海に囲まれ、日に蒸されたこの土地の地理そのものによる。すぐ熱狂するのだ。

 次は島崎藤村の破戒を読む。こちらは長編である。