松家さんの新作「沈むフランシス」を読んだ

 ちょうど一年前の今ころである。二階の隅にある小さな教室で、向田邦子殿山泰司のエッセイを読み、また書いたエッセイを論評するという授業があった。あと一年を残した大学生活であるが(もう殆ど授業はない)、こうして振り返ってみると、書くことによって自らを表明することの心地よさや可能性について、またその困難さについて直面することのできた数少ない貴重な時間だったように思う。ちゃんと毎週授業に出た。

 このブログをよく更新するようになったのもこの頃からで、松家さんの投げかける、書くことに対する優しい眼差しのようなものに無意識に後押しされたのかもしれないなと思う。自分の書いたエッセイが論評され、感想が述べられるという経験は貴重で、書き手である自分からふっと作品が離れる感覚があった。また、毎週に紹介される作品に触れていくうちに、様々な文学作品への興味が湧き起こり、その年は、故人も含め、多くの作家に出会うことにもなった。

 松家さんのデビュー作『火山のふもとで』は学期中は一度も触れられることなく、新潮に掲載されることを知った。考えてみれば、作家としてデビューします、こういう本ですから良ければ買ってください、と言うような人ではない気がする。言わないところがまた松家さんらしいなと少し頬が緩む。編集者を辞め、五十歳を過ぎて作家としてデビューすることを知ったのは学期の終わった夏の暑い日だった。新潮に書き下ろされた650枚(確かそれくらいだったと思う)の原稿は、大型新人とキャッチコピーが付けられていた。厳しい暑さが和らいだ秋口には、素敵な装丁となった単行本が本屋で平積みされている光景を見た時は、嬉しくなってすぐに手に入れた。身近で教わった人の作品がこうして日本全国に流通しているのだと思うと不思議な感慨に耽った、ということを帰りの電車の中でぼーっと思い出していた。

 前置きが長くなった。今月の新潮に「沈むフランシス」というタイトルで新作が載った。基本的にはロマンスであって、性描写が印象的だったし新鮮だなと思った。東京から北海道の田舎へ郵便配達員として働くことになった桂子は、妻を持つ和彦と関係を持つ。そういった二人の恋愛に、郵便物の配達を通してムラの中へ溶け込んでいく、或いはその狭い共同体に取り込まれていく桂子の姿が印象的だった。誰の家にどの車が止まっている、昨日あの日は夜遅く家に帰った、そういった互いの細かな生活について、誰もが共有している田舎独特の密で粘り気のある保守的な雰囲気にリアリティがあったように思う。

 郵便物が配達されることじたい煩わしいという考え方もあるのかと驚いたが、考えてみれば桂子も会社を辞める一年くらい前から、三十分単位のEメールのチェックにとらわれている自分にうんざりするようになっていた。安地内に来てからは、インターネットは田舎で暮らすための必需品とありがたく思っていたが、東京を離れるときに携帯をあたらしい機種に替え、電話番号もメールアドレスも変更し、ほんの数人にしか知らせなかった。固定電話はない。これだけでおそろしいほど静かになった。誰に連絡するときには、よほどの急ぎでなければ万年筆を使い、はがきか手紙を書くことにしていた。(p.17)
 東京で出会うのはほとんどがゆきずりの視線だ。ところがここではすべての視線に名札がついている。昨日の視線には、明日も明後日も出会う可能性がある。二度と出会わない、などということはまずありえない。安心といえば安心かもしれないが、いったん窮屈と感じてしまったら、窮屈きわまりなく、逃げ場がない。そうこうするうちに、桂子のスカートはいつしかクローゼットにかけられたままにとなり、何本かのジーンズと、綿や麻やウールのパンツがローテーションするようになった。(p. 25)