この休日が開けたら最後の学年が始まる

 この春に卒業する先輩と雪山に行って滑りに行った。10年ぶりくらいのスキーだった。案外身体が覚えているものなのかもしれない、ぜんぜんうまくは滑れないけれど、楽しかった。今年の3月はとても暖かく、例年ならば雪がふかふかと積もっているらしかったが、ゲレンデには雪解け水があちらこちらで流れはじめ、その下からはふきのとうが芽吹いているくらいだった。雪が溶けてごめんなさいとの旨の張り紙がカウンターに貼ってあった。人も少なくなった4月直前のスキー場だった。確かに雪は少なくて、もっと北を目指したくなったけれど、寒くなかったし、ゲレンデに人が殆どいなくてそれはよかったと思う。滑った後には熱めの温泉に入ってすぐにバスに乗り込んで、気づいたら新宿のネオンが眩しかった。福島県羽鳥湖である。すぐ北には猪苗代湖、会津若松である。

 この春に卒業する先輩と焼肉にいった。kzsk(*かず助)である。思い起こしてみれば、その先輩とはもう5年くらいの付き合いだった。ちょうど2年半前に研究室に入ってからというもの、ほぼ毎日のように顔を付き合わせていたように思う。研究のあれこれで相談をしたり、プログラムの実装であれこれ相談したり(最初の頃は、相談というよりコードを書いてもらうことが多かった気がする)、無駄に大学に泊まりこんで無駄に映画見ながらコード書くみたいなことしたりしてた。ここ一年くらいでちょっとはまともにコードを書くことが出来るようになって、随分とたくさんギークな話をしていた気がする。kzskにもよく行ったし、二郎にも行ったし、鎌倉でワニ肉食べたりした。なんというか大変お世話になった(この文面からあまり伝わってない......)。気づいたら4年生になっていて、知らずの間に後輩ができていた。後進を育てるというと何か偉い教育者みたいな感じしてちょっと違うきがするけど、まとまった時間をとって後輩に例えば研究の相談に乗るとか、行き詰まってる実装をなんとかするとか、そういうことを自分はできているのだろうかと未熟さを前に思った。

 心地よい春の陽気に後押しされ、いつまでも判断を留保することによる希望を抱きかねない。南の島。安楽椅子に揺られながら、片手にビールを持ち、永遠に判断を引き伸ばすことのできるユートピアを想いながら、立たされた現実2013に身を律するばかりである。