肌に合わないインターネットのコンテンツ

 ツイッターは最近、7年目を迎えたらしい。分刻みに更新される新着ツイートを追いかけると、知り合いや友だちの身に起きたこと(それが本当なのか別として)があり、言い得て妙なポストや画像が流れ続ける。

 SNSに疲れた、という話は良く耳にする。確かに、友だちのツイートを見て、美味しそうなインスタグラムがあればリプライを飛ばしてお店の名前を聞いたり、定期をなくしたら心配したり、授業一緒に取る人を探したり、そういった親しい人たちとの過度に近距離のコミュニケーションは疲れる気がする。知らぬ間にアカウントがProtectedになっていたり、"そのページは存在しません。"ってなったりする。まじめにSNSをやっていると疲れると思う。誕生日にウォールに書き込む基準とか、自分の誕生日にもらったメッセージをどうやって返そうかとか、そういうのまじめに考えるときりがないと思う。自分のfriendsやfollowingといった1ホップ先の人たちとの間で発生している現象である。

 ここ1年くらいだろうか、ツイッターやってると不快になることが結構多かった。異なるユーザから同じ内容や少しだけ変えられたツイートが何度もRTで回ってくることや、異なるユーザから同じ画像が流れたりするの、個人的にはかなり不快だった。あとすごい体験談みたいな多分に誇張されたツイートを読んだりするのもかなり苦手だった。もちろんその中には、面白いこともあった気がするけど、なんというかインターネットにおけるスタンスというか、自分のポストを多くの人に広げたいみたいな欲求に触れるとつらくなって、ツイッター辞めたくなる。肌に合わないツイートを見るとぞくぞくっとする。

 見たくない、読みたくないならunfollowすればいい、という主張は、そもそもfollowingしていない、自分のfollowingからの1ホップ先にいるユーザ、該当するポストには、全く無力である。例えば、"***したらシェア"や"***な人RT"の類。なんというか、蔓延っていてどこまでもまとわりついてくる。われわれは、もう逃げられないのだろうか。

 「全てのポストに寛容的になれ」こそ、革新的な解決策である。ちょっとそれは無理ゲーすぎる。すきでやっているツイッターに、肌に合わない言説までに寛容的になりたいとは思わない。一方で、follwingからの1ホップ先のポストとどう付き合えばよいのか。1ホップな関係に疲れ、閉ざされたインターネットに居住地を移す人がいる一方で、2ホップより先から流れてくる異質なポストに疲れている人もいる。