苦役列車を読んで考えたこと

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 誰から引き受けた不条理を引きずり、地面すれすれを這い回る、極限までに泥臭い私小説だった。汗で滲んだ手が握ったのは太く濃い鉛筆である。帰りの電車の中、夢中になって読み切った。
 時代は、高度経済成長期の活気づいた東京だ。零細運送業の家に生まれた北町貫多は、粗雑な気性の両親のもとに育つ。日常的な暴力に加え、父親が性犯罪者であったことを知った衝撃で、貫多は中学を不登校となる。母親から金をむしり取るように家出をし、埠頭で水産物の積み下ろしをする日雇い労働者となる。若干15歳の少年にしては、あまりにも過酷で救いのない人生であることは、日雇い労働者であること以上に、まともな教育を受ける機会に恵まれず中卒であること、またこういった境遇を分かち合える相手が一人としていなかったことだった。
 若くして、安く陳腐な酒と風俗を娯楽とし、貫多の不条理や救いようの無さ(その日暮らしで、自虐的かつ無為無策な性格も随分と災いして)が貫かれているが、そのエピソードはどこか清々しさや滑稽さゆえの笑いへと昇華された絶妙なバランスがある。これは、西村賢太の大きな魅力のうちの一つなのかもしれないと思った。
 貫多は自らの緩怠さを諦念し、それを是正する努力を全くしない。不条理を背負い、堕ちてゆくだけの存在だと思っている。父親の性犯罪が明るみでた暁には家庭は完全に崩壊し、幼くして安定した家庭を欠き、十分な教育をさまざまな理由(経済力もそのうちの大きな要因の一つだ)で享受できなかった。夏休みだけ日雇いに来ていた日下部という、実家の仕送りで世田谷に一人暮らしをしている男とその彼女との会話は、貫多の家庭環境や文化資本、教育格差を鮮明に浮揚させる。
 こうしたさまざまなレヴェルでの「格差」に絶望し、努力する動機付けを完全に失っている貫多は、格差をより複雑で深刻なものへと自身で改変してしまっている構造がある。
 読み終えて、車窓をぼーっと眺めていたとき、ふと、17歳の夏のできごとを思い出した。「格差」の存在を明白なかたちで知ってしまった体験についてだ。過酷なハケンの労働現場に投げ出されたとき、如何なる理由であれ、そう生きざるを得ない過酷な情況に置かれた人たちを目の当たりにした。見たことも無い光景だった。
 高校2年生の僕にとって、来年は大学受験が控えていることを微かに想像し、今年が最後の夏休みになるのだと思うと、来たる夏休みへ少なくない期待を抱いた。同時に、遊ぶためには幾らかの金が現実の問題として必要だった。仲の良かった友だちが、「ハケン」を紹介してくれた。一晩働くだけで日給がそこそこ出る。紹介してやるよ、直ぐに金は受け取れるし、俺には紹介料も入るし。そう言われて、向かったのは、都内からほど近い野球場で行われたとある大物アーティストのライブ会場の撤収だった。
 夜9時、ライブの終了と共にファンたちは、興奮冷めやらぬまま浮かれた表情で駅へと向かう。その横で、名前を告げるとヘルメットと軍手を渡され、ステージへと向かった。
 ライブ会場はメインステージがあり、それを取り囲むようにして花道がある。その花道の内側には無数のパイプ椅子が並べられ、20m近くそびえ立つ照明が何基もあった。こういった会場は、ライブの前夜から当日にかけて設営され、一晩にして撤収される。その労働力の殆どは非正規雇用の派遣労働者を基盤としており、僕もその一人となった。会場のマテリアルは、威圧感のある鉄筋と無数の鉄パイプが殆どを占めていた。夏の夜、汗が滝のように流れ、0時を回った当たりから身体は重く、眠気と同時に疲労がじりじりとこみ上げてくる。それでも、気を抜けば支えている鉄筋は足をめがけて落下し、骨が砕けることなど容易に想像できたわけで、不気味な緊張感が維持されていた。
 ハケンを統括する20代後半のリーダーが発する理不尽で卑俗な言動が象徴的だった。中年男性の派遣労働者がこういったリーダーたちに、少しでも鉄筋を運ぶ動作が遅れ、或いは想定外の行動に出たならば、殺すだの死ねだのと脅される。おろおろしている様は、見るに辛くて耐え難い光景だった。われわれには意見する資格などどこにもなかったし、ひたすら鉄パイプと鉄筋を所定の場所へ移動させるため、機械のような動作が求められた。
 12時間の労働が漸く終わると、再び一箇所に集められ、封筒に入った13,000円が一人ひとりに手渡しされた。その横で、中年男性が仰向けにぶっ倒れていた。長時間の重労働に猛暑が重なったせいか、熱中症のように見えた。意識が無い。周りの人間が顔を何度も叩いて意識を確認しようとしていた。尚も動かず、彼は仰向けのままだった。もしここで自分が倒れたとき、この身体は誰が守ってくれようか。ひるがえって、僕には一切の保険もかけられていなかったことを思い出し、その恐ろしさに身震いしたのだった。若干ふらつきながらも、鉄サビで茶色に変色したTシャツを隠しながら、帰りの京王線に乗り込んだ。貫多が水産物の積み下ろしをしていたことが妙にリアリティを帯びていた。
 ハケンの体験は、自分の見ていた社会が実際には何層にもフィルタがかかり、その上層も下層も不可視化され、漂白されていたのだと知った。狂ったような爆音に身体を揺らし、大声で叫ぶライブ会場のオーディエンスに、派遣労働者の姿は、そう簡単には映らない。
 「個」は大きな組織やシステムの前ではあまりに無力で脆い。意識が飛び、仰向けになった彼のことを思い出す。個は組織によって取り込まれ、保障や人権といったアイデンティティを担保する根幹までをも容易に侵食されてしまうことが往々にしてある。「個」がシステムにじわりじわりと吸収されてゆく様は、過酷な肉体労働をより深刻なものへと変容させていた。こういった巨大なうねりは、親から子へ世代を超越して継承され、是正されることがないようにも思えてしまった。
 われわれは容易く組織やシステムへ身を委ねてはならないのだと思う。組織やシステムを前にして、自己は極めて脆く非力な存在であるということを十分に容認し、それを是正しようと努力し続けること。個の自由や尊厳を守りながら生きていくためには、こういった自己認識が必要なのだろう。同時に、容易に再生産されうる格差を想像すると途方に暮れる。苦役列車を下車することはできるのか、それは全く分からない。

苦役列車 (新潮文庫)

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