悲しい

 小学校の国語のテストで、主人公の気持ちを答えなさい、といった類の問題に解答することができず、返却されたテスト用紙を家に持ち帰ると、母親にひどく叱られたことを思い出した。確か、宮沢賢治の何かの作品だった覚えがある。ぜんぜん分からなかった。今になっては、子どもの解答にむきになって怒った母親の気持ちも分からなくはないが、是認する気持ちには今もなれない。

 主人公の気持ちが回答可能な問いとして成立しているのかはさておき、こういった問いは、物語中の登場人物と出来事から線形的に導かれるものであるから、ある程度の蓋然性を持った模範的な解答が存在することは確かである。

 とりわけ映画中の物語の登場人物を覚えたり、会話からストーリーを組み立てる、並行する複数の物語を追いかける、物語の進行を把握する、そういったことがとても苦手である。話を整理してもらって、やっと腑に落ちるという経験は数えきれず、自身の物語全体の把握能力に愕然とし、ときどきひどく落ち込むことがある。

 大抵、「あれは誰」「なんでこの展開なんだ」と相手がいれば聞いている気がする。標準的に備わっている、或いは培われているはずの把握能力が欠如しているのではないかと思うたびに悲しくなる。どうしてそうなのか全然良くわからないけど、同じようなことは以前、グレート・ギャツビーがなぜ読めなかったのかにも書いていた気がする。

 なんかまた悲しくなってきたのでこんなこと考えるのは辞めたい。日曜日なのに雨が降ったのが悪いのかもしれない。