ちゃんと仕事したい

 決められたゴールや目標が目前に迫ると力を抜いてしまいがちであるし、そんな自分の一面があからさまに表出すると、もっと丁寧な仕事を次からはしたいと密かに誓い、IMEのサジェスチョンに助けられながら、これからも宜しくお願い致しますとメールを書くのである。今日は、そういった午後だった。秋の空は完璧であったと思う。箱根の峠をずるずると後退し、やがては中継車からの映像では確認できなくなる駅伝ランナーのようだ、と比喩したかったが、ゴール手前で完走できる余力を十分に残していることを思い出して、ランナーには遠く及ばないし、比喩する資格などないのだと我に返った。

 何事も最後が肝心である。終わり良ければ全て良しである。そういった場面はとても多い。丁寧さや緻密さ、計画性が求められる仕事であったけれど、ある程度の完成度に達したところで、力を抜いてしまった。締め切り間近を盾にしながら、やっつけ仕事だと思われてしまった。今はとても反省しているし、また数ヶ月後には同じ悩みを抱えながら、同じような内容のメールを送るようなことは繰り返したくない。

 丁寧に仕事をしたいと思う。こつこつ積み重ねて、ちゃんと仕事をしたいと思う。最後のゴール(あるのかすらよくわからないけどおそらくある)までちゃんと駆け抜けられるようになりたい。そういったことができるようになったなら、人生もう少し上手く回るような気がしている。

 新しいMacBook Air'11は軽くてちょうかわいいのでたいせつに育てたい。あと、うちの秋祭のセンスについてはとくに述べることはないが、藤沢市在住?の60歳くらいのひげを生やしたおじいちゃんが洋書10冊100円で古本市をしていて、戦後アメリカの認識論の変遷について少し議論したのが面白かった。人生楽しそうだった。Cross cultureがメジャーでminorでCやHaskellのコード書いたらしい。差異と同一性について話してたけど、ベイトソンの論理階型のことかなって思ったけど話が長そうでお腹すいたので黙ってた。