続けたもの

 正月が明けてから昨日までの二週間ちょっと毎日研究室に篭った。毎学期の研究経過/成果をタームペーパーにまとめるため。おかげで朝まで解析して寝て書いて、といういつ起きてるのか寝てるのかよく分からない生活が板についてきたところだった。無事に提出期限内に出し終えて、ほっとしながら3日ぶりに家に帰ってゆっくりしてる。遠藤村は他のキャンパスと比べて圧倒的に食環境に乏しく、食堂か高めの定食屋かファミマくらいしか近場で選択肢が存在しない。正直、マグロ唐揚げ定食もファミマのお弁当も飽きるくらい食べた。

 ここ二週間、タームペーパーを書きながら、解析手法が分からず悩んだり、一晩かけて解析して出た結果が思わしくなかったり、到達したい点までの圧倒的な技量不足に卒倒しそうになったりしながら、毎日そこそこ苦しんだ。毎日コンスタントに1回や2回行き詰まるので、朝の4時になると決まってももクロの「走れ」を大音量で流して療養剤として享受していた (参考映像: http://www.youtube.com/watch?v=9Rt5cSeFHNY)。転がる様々な大きさの石や岩を丁寧に横にどかしながら、少しずつ進んでいるような感覚に近くて、昨日躓いて進めなかったことが、今日は難なく超えられると、少し嬉しくなった。そういうどんな些細な成功体験であっても、前に進むための体力や自信として強力に自分を支えてくれる。それでも、僕よりもうんと頭の良い人は、こんな簡単なことで苦しまないのだろうな、と想像して、羨ましさを感じることも少なくはない。そんなことを思いながら、「仕事の出来る人」や「頭の良い人」にどうしたらなれるのか、ということについて、こんなツイートと出会った。

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  なんども頷きながら、脳の中反芻しながら☆をつけていた。僕の今やっている研究とその研究手法が、果たして自分向いてて適正があるのか否か、大学院に進学するのか、もし研究者になるのなら本当に飯が食えるのか。自分の向き不向きに関係なく、またどんな理由があろうとも、結果として続けられたことがその人なのだと思った。僕よりも数倍、数十倍の能力を持って、とてつもなく仕事ができて、頭の回転が早い人は、僕が詰まり、苦しんだことをずっと前に通過しているのだと想像することができた。得てして我々は、大きな石や岩の洗練されたどかし方ばかりに目を奪われがちだけれど、そこには多くの時間を費やし、想像を超えた泥臭い努力と何日も考え抜く体力を鍛えてきた結果なのだと思う。

 自分が勝負できることをつくりたい。