深さ

 お風呂に入ったとき、「関係の深さは時間が担保しているのだ。」

 突然、そんなことばと出会った。じっくり考えてみると、それが確からしさを持ったイメージとして立ち上がる。

 中高の頃の同級生たちと久々に会ったときや、小学校のころの同窓会も、お盆休みに帰省したときのおばあちゃんとの会話。そのどれもが長い間、相互にやり取りが発生せず、明らかに生きる文脈も異なっているのに、まるで昨日もこうして話してるかのような情況には、自然な文脈の補完と生成の過程があるように思う。時間的にも地理的にも断絶していたはずなのに、継ぎ目のない文脈が息づいている互いの関係は、あまりに自然すぎて他人のはいり込む余地すら与えない。そういうお互いは、関係が深いと言っていい気がする。

 そういう深い関係をほんの少しだけでいいから持っていられれば、それだけで幸せだろうと思うし、そうありたい。時間がそれを担保するのなら、じっくり付きあえばよろしい。でも、大抵の場合はじっくり付き合えなくて、するすると手からこぼれ落ちてゆく。

 そういうものじゃないかなあ。