8年振りの再会に

 今日、実に8年振りに小学校の同級生たちと地元の成人式で再会した。ほんとうに懐かしかったし、同級生たちの近況を聞いて心揺さぶられることがあった。

 僕は小学校卒業と同時に千葉の全寮制の中高に通い、大学は神奈川県藤沢市に通うことになった。中高時代は、寮だったのですぐに地元に帰ることができなかったし、気軽に帰れる距離でもなかった。だから、小学校卒業と同時に同級生たちとはすぐに疎遠になってしまった。彼らの殆どは小学校の横にある公立中学にそのまま進学した。小学校卒業当時、携帯なんて誰も持っていなかったし、千葉へ離れた僕は彼らと連絡する手段がなかった。だんだんと、会いたいとも思わなくなったし、正直なところ、成人式に行くまでは彼らと再会したくないとまでに思っていた。それは、久しぶりに会うのが恥ずかしかったり、どんな顔をして、どんな話をすればいいのか分からなかっただけなんだと今はそう思う。だから、8年振りの再会になった。成人式の強制力を無くして、彼らとは一生会うことも話すこともなかったと断言できたし、今日こうして再会するまで、僕はそれでいいのだと思っていたのだ。

 成人式の会場に行くと、かつての幼馴染たちが沢山いた。男の子はわりと当時の僕が覚えていた雰囲気と変わっていなくて、直ぐに顔のわかる子が多かった。もちろん、変わりすぎてて名前を聞くまで分からなかった子もいた。女の子たちは、当時元気な子がすごいチャラくなって、どきゅんな子は相変わらずどきゅんだったし、仲よかった子がすごい可愛くなってた。振袖着てたから余計に誰が誰だかもうさっぱりで、相手は僕の名前で呼んでくるのに、僕は顔覚えてるのに名前だけ分からなくて、あたふたしてた。

 夜、成人式に来てた子たちで、同窓会があった。飲んでるときに、今どこに住んでるのって話はさんざん聞かれたし、地元になんで帰ってこないのってことも沢山言われたし、他にもいろんな話があった。僕も彼ら/彼女らがいったい今どこで何をしているのか知りたくて聞いたとき、大学に進学した子が想像以上に少なかったこと、そして想像以上に高卒で就職してもう働いてる子が多かったことだった。僕の感覚では高校を出たらどこであれ大学に進学することが大前提で、高校卒業して就職するなんて全く想像すら出来ないし、大学2年生になった今ですら危うい。

 大手の下請けの会社に就職した子は休み時間にいつもドッジボールしてたやつだったし、近くの眼科で働いてる子は近所に住んでる女の子だった。仕事が結構たいへんだとか、土曜も出勤しなきゃいけないとか、そういう働いて毎日を生活している彼らの話を聞いていると、なんだか自分はまだ学生で、就職することの具体的な考えも、あわよくば大学に残っていたい、という感覚そのものに強烈な「遅れ」や「生ぬるさ」を感じてしまった。彼らの方が圧倒的に生活力があって、僕よりも遙かにどうやって生きていくか、ということに長けているように思えてならなかった。自分の薄っすらと思い描く数歩先の未来を、彼らは既に歩んでいるのだ。

 中学から受けてきた教育も、土地柄も、遊ぶ場所も、コミュニティも全く違う彼らと飲んでいると、改めて普段自分のいるコミュニティの小ささと均質性の高さが明らかになる。彼らはパソコンとインターネットを与えても直ぐに飽きるだろうし、twitterだって殆ど使わなければ、大学のサークルもたぶん知らない。そういう無数の相違がものすごい数存在していて、その中の幾つかはもうお互いに理解不可能なものだってあるのだと思う。

 成人式で8年振りに幼馴染たちと再会し、同窓会でたくさん話したあと、僕のいるコミュニティやそこで形成される価値観や大前提のようなものが大きく揺らいだし、相対化されていく感覚があった。そういう意味で彼らの話を聞けて本当によかったし、なにより騒いで楽しかった。

 帰り道、栄まで歩いたから、市バスに乗ろうと思ったけれど、時間が遅くてタクシーを拾った。一緒に乗った子の家の前で僕も降りた。数分歩いたら実家だった。それは近すぎるよ、と思われるかもしれないけれど、僕には小学校の下校みたいで、どこか新鮮で懐かしかった。