鶴岡を後にした

 4月にはじめて鶴岡に来てから夏休みなどを除いて半年ちょっとくらいの生活が今日で終わった。雪解けから夏を過ぎてそしてまた雪が降る季節が巡ってきてから、季節を一周したと言ってもいいと思う。寒さと風が強まって、降り積もる雪が深くなっていく度に、鶴岡の生活も決して悪いものじゃないなあと気持ちが緩やかに変化していく様を感じることができた。

 人は、第一の印象や経験で感じたことの多くを後に覆すことは困難だ。東京や名古屋の郊外と比較しても、鶴岡の不便さは圧倒的で、コンビニも遠ければ飲食店も夜直ぐに閉まる。欲しいものが直ぐに手に入るわけでもないし、娯楽も限られてた選択肢しか存在しない。それに加えて、山形にはアイドルがいないのだ。圧倒的な不便さやそれに起因した過ごしにくさを感じてしまった僕にとって、不便さに紐付いた感覚を乗り越えて、鶴岡の良さを感じることができるようになるためには長い時間を要した。それが雪が降り積もるようになってから、というのは些か皮肉であったし鶴岡らしかったのかもしれない。諦めて夏に帰っていたら良さを感じることは一生なかっただろうし、大学の授業という強制力に助けられた部分は大きかった。不便さは逆説的に遮るものが少ないことでもある。それに加えて、同じ授業や実験をやることになった同期と仲良くなれたと少なくとも僕はそう思っているし、楽しい時間が沢山ありました。そういう思い出みたいなものは読み返したとき、恥ずかしくなるので、しまっておきますね。

 鶴岡には酒がすすむ旨いお寿司と魚が美味くなる酒がある。そう思えるようになるまで長い時間が必要だったけれど、そう思えてしまえば、いくら不便だと言ってもなんとかなりそうな気がしてくるでしょう。僕は春から鶴岡に来てよかったと思います。